自動運転車初の死亡事故という報道が流れた直後に、国交省の有識者研究会()とやらが、自動運転中の事故は所有者に責任を負わせろとか言い出しています。
いつも思うのですが、「有識者」って誰なんですかね?警察の道路行政に関して言うなら、私もそれなりの「有識者」だと思うのですが、有識者会議からお声がかかった事が一度もありませんが(笑)
有能なハッカーにかかれば電子制御だらけの今の車など簡単にハッキングして遠隔操作出来てしまうのですが、こんなフザけた論理が通ってしまうと、今以上にいつでもどこでも誰でもを交通事故の当事者に仕立て上げられる社会になってしまいます。
じゃあどうしたらいいですかって?
そんなものは、簡単です。自動運転なんてさっさと止めて、むしろアクセルとブレーキくらいはバイワイヤによる電子制御を禁止しろってお話です。
アクセルやブレーキが物理的な制御であれば、何らかのトラブルがあっても止まる事が出来ますが、全てが電子制御の車ではハッキングされたらラジコン状態でドライバーを無力化出来てしまうのですから。
ゴミ売り読売新聞の記事
国土交通省は20日、自動運転中の車が事故を起こした場合の自動車損害賠償責任保険(自賠責)のあり方に関する有識者研究会の報告書を公表した。
原則として所有者に責任があることを確認し、車のシステムに明確な欠陥がある場合は、自動車メーカー側が製造責任を負うことにした。
自動運転の実用化に向けては、事故が起きたときの賠償のあり方、道路交通法などの交通ルールの整備、車両の安全基準の策定などを進める必要がある。多くの課題がある中で、自動車の所有者がすべて加入する自賠責のルール整備に着手した。
報告書によると、基本的な原則として、人ではなく車が運転の主体となる高度な自動運転中の事故であっても、事故の責任はこれまで通り、所有者が負うとした。
リコールしなければならないレベルの欠陥があっても、何件もの事故が起きてからでなければリコールされませんし、リコール隠しをしたことがあるメーカーも少なくありません。
それでも物理的な欠陥であれば再現実験なども行えますが、最低限のファイアウォールすら入ってない車のECUなどをハッキングされた際に、ハッキングの痕跡を見つけられるかどうかもわかりません。
百歩譲ってハッキングの痕跡が見つかったとして、メーカーがそれを「明確な欠陥」と認めるでしょうか?
「明確な欠陥」が認められた場合のみメーカー側が製造責任とか言っていますが、「明確ではない欠陥」や「原因不明のエラー」だったら保証しないということになりませんか?
全ては自動運転のような無責任極まりないものを公道上で走らせようという発想自体が間違っているのです。
電子制御の車は遠隔操作出来るという事実
過去にいくつかの記事にしてきましたが、電子制御の車はスキルのあるハッカーにかかれば遠隔操作出来てしまいます。
[福岡タクシー暴走]プリウスは遠隔操作出来るらしい[ペンタゴンが実験済]
しかし、こんなことで驚いている場合ではないのです。実は今回、2人は遠隔操作によるハッキング実験は行いませんでした。なぜか。理由を知ってビビりました。「もう、前に別の人が成功させちゃってるんだよね」。
そうなんです。実は一昨年、別の学者グループがブルートゥース(短距離無線通信技術)とネットのワイヤレス・ネットワークを使って、乗用車の車載コンピューターを外部からハッキングし、遠隔操作することに成功していたのです。
別に遠い国でのお話ではないのです。日本国内においても、遠隔操作を疑わせるような事故がいくつも起きています。
上記の福岡でのタクシー暴走事故も不自然でしたが、その前に起きた京都の祇園での暴走事故などはもっとおかしかったですよね?
暴走しているのに不思議と他の自動車とは衝突せずに歩行者をなぎ倒しながら歩道を進み、最後は電柱に衝突して止まるのですが、目撃者の話ではエアバックも作動して、搬送時には運転者は生きていたようなのですが、搬送先の病院であっさりと死亡しています。
警察は車に異常はなかったみたいな発表をしていましたが、仕掛けたのが警察の方だったら何の意味もない発表です。盗人に金庫番をさせているような状態なのが今の日本なのですから…
自動化すればいいってモンじゃない
技術の進歩は日進月歩ですし、それが利便性の向上に繋がってきたことは間違いありません。
しかし、だからと言って何でもかんでも自動化すれば良いというものではありません。ミスをしない人間が存在しないように、故障しない機械も存在しないのですから、不特定多数の人間が行き交う公道上での運転について、自動運転のような危険な技術を導入すべきではないのです。
MT車しかなかった時代では、車の運転は一つのスキルとして認知されていて、MT車の扱いに自信がない人々は免許を取る事自体を諦めたケースも多々あるでしょう。
それがAT車の普及とAT限定免許という恥ずかしい免許資格の登場によって、免許人口は爆発的に増え、真正面にボールを投げてもキャッチ出来ないレベルの運動神経・反射神経しか持っていないような者でも教習所に通いさえすれば免許が取れるようになってしまいました。
たまに田舎の小中学生が親の車を勝手に運転して補導されるみたいなニュースも流れていますが、今や自動車やスクーターなら小学生でも運転できるほど簡単な乗り物になってしまったのです。はたして、それは本当に良い事でしょうか?
軽くても1tを超える鉄の塊を、法定速度を守ったとしても60km/h程度の速度で走らせ、歩行者や自転車に衝突すれば相手の命を簡単に奪ってしまうのが自動車なのです。
そんな危険な乗り物の操作を、小学生でも出来るほど簡単にする必要があるのでしょうか?
操作が簡単だから運転に集中しなくなります。
運転に集中しないので大音量で音楽をかけたり、片手でスマホをいじりながら運転する者が増えます。
漫然運転ばかりで咄嗟にブレーキを踏む事すら出来ない者まで運転しているので、メーカーは自動ブレーキの技術ばかりを磨きます。
AT車で自動ブレーキがある車じゃないと安心して乗れないような奴らにまで運転させる必要はないでしょう。
今更AT車をなくすような政策は採れないでしょうが、自動運転車は認めないという法規制なら間に合います。
コメント
この件に関しては、必ず起きる事故だと思っていましたので個人的に驚きはしませんでした。
(許容するという意味ではありませんが)
管理人氏も言及していますが、レベル5の完全自動運転車を一般人、一般家庭が自動車の購入に際して選択肢に入れようとする場合に必要な条件は普通に考えれば以下が必要です。
①車の製造から廃車・解体まで自動運転に必要なシステムは完全に独立していてスタンドアロンを維持
(ソフトフェアアップデートを絶対に必要としない)
②自動運転システムにGNSS(いわゆるGPSなど)を完全に必要としない。
以上が満たされないと、悪意のあるクラッキングやテロに対する安全が担保されません。
つまり私は向こう100年~200年位は環境が限定されない自動運転は無理だと思います。
自動車メーカーも分かってはいるでしょうが、競争の世界の手前声を上げる良心のあるメーカーはまだ無さそうです。
新技術・新機能のアピールを重ねないと車が売れないという現在の状況は、消費者が自分のクビを絞めてる事気が付いていないわけですね。
そろそろ気が付いて欲しいモノです。