[諸悪の根源]日本人は無宗教という嘘デマ[実際は儒教国家]

長年疑問に思ってきた事があります。EU諸国の国は労働時間が短いのにそれなりに豊かな暮らしをしている人が多いのに、どうして日本人はこれほど勤勉に働いているのに生活に余裕がない人が多いのでしょうか?

もちろん、経済政策の失敗も大きいですが、それにしても日本の長時間労働は異常です。

私の仕事は残業しても残業代が一切出ないので、出来るだけ定時であがるようにしているのですが、その話を他業種で働いている友人に話すと結構高い確率で羨ましがられます。

私が「8時間分の給料しかもらってないんだから、残業代が出ないなら仕事が終わってなくても帰ればいいじゃん?時間内仕事が終わるように調整するか、ちゃんと法律通りの割増賃金を支払って働いてもらうかをするのが、管理職やら経営者の仕事なんだからさ~」と言うと、彼らの返答は大体こんな感じです。

「それはそうなんだけど、自分だけ定時に帰ろうとしたら顰蹙を買うし、査定にも響きそうだからやっぱ帰れないよな~」

気持ちはわかりますが、この意見は二つの点で合理的ではありません。

  1. 定時で帰ろうとする者を妬むなら、自分も定時で帰れば良いだけです
  2. 時間外賃金を支払っていない時間帯の仕事を査定に入れるのはおかしいです

労働時間が長いのに稼ぎが少ない日本人

データブック国際労働比較2017より

1980年代はもっと多かったようですが、あの頃は今よりももっと狂っていただけの話ですし、当時は一家の大黒柱であるお父さんさえ働けば家族を養う事が出来ました。今は嫁もパートに出ないと子育てが出来ないプチ貧困家庭が激増しています。

EU諸国に比べて長時間労働をしていますが、国民一人一人の豊かさの指標である一人当たりのGDPはどうなっているでしょうか?

世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキングより

堂々の22位!もう先進国を名乗るのはやめた方がいいですし、円借款やらODAやらで海外に援助してる場合ではありません。立派な斜陽国です。

労働時間が長いのに一人当たりのGDPは少ないのですから、単位労働時間あたりの稼ぎはもっと低いということになります。

おそらく、皆さんの仕事の内容を見回してみても、非合理的な仕事や、やらなくても誰も困らないような無駄な会議などが多くはないでしょうか?

早く帰る為に自分の仕事の効率や生産性を上げて人より早く仕事が片付くと、その分多くの仕事を押し付けられたり、下手をすると余計なことをするなと言われるのが日本社会です。

どうしてこんな国になってしまったのでしょうか?

その答えは私達が幼少期から学校や家庭や地元のコミュニティで植え付けられてきた「儒教をベースとした洗脳教育が原因」だと思います。

洗脳論語を読めば納得

薄々気付いていたこの日本社会のおかしさの原因をはっきりと理解できたのは、以下の本を読んでからです。

洗脳論語(単行本)

洗脳論語(Kindle版)

偉人として認識している方が多い孔子ですが、実在の人物としての孔子は、当時の皇帝に阿って権力の中枢への出世を目論んでいながら、実際には追放されて諸国を漂浪していた人物です。

しかし、孔子の話をまとめたとされる論語の内容が皇帝による市民支配には非常に都合が良い内容だったので、後の時代の支配者層達がこの内容を流布して統治に役立てたというのが実状のようです。

例えば、論語の有名なフレーズとして

巧言令色少なし仁

というものがありますが、一般的には「口が上手く見た目が華やかな人は、仁が少ないものだ」と捉えられていますね。

仁が何かを定義しなければ意味がよくわからない文章ですが、ちょっと考えてみればこの格言は間違っている事がわかります。

口が上手くて見た目が華やかな人であっても、優秀で心が広い人も沢山いますし、見た目が地味で寡黙な人にも、本当にただただ無能な人もいくらでもいます。

「見た目の能力は比例しない」は正しいですが「見た目が良い人は仁が少ない」はおかしいでしょう?

このような一見耳障りは良いが、よく考えると間違った方向に人々を誘導する内容が論語には非常に多いです。

そして、日本社会においては、論語=儒教をベースとした不合理な価値観を子ども達に植え付ける教育が蔓延しているのです。

儒教は宗教です。日本では憲法によって特定の宗教を優遇するような教育や政治は禁じられているのですが、実際には儒教国家で儒教の教えを強制しています。

儒教の教えのわかりやすい例は以下のようなものでしょう。

  • 年長者は敬わなければならない
  • 礼儀作法をしっかりと身に付けなければならない
  • 権力者(学校で言えば先生や先輩など)の言う事は、素直に聞かなければならない

などなど。

特に体育会系の運動部などに所属してしまうと、先輩後輩の関係性が厳しく、無意味なシゴキに遭ったりすることが多いですし、そこまでいかなくても後輩が雑用をするような役割分担がされている事が多いですね。

ほとんどの国民は高校までは卒業しますから、12年間も儒教の洗脳を受け続けていれば、余程賢いものか、早々に学校教育からドロップアウトした者以外はこの洗脳から逃れられません。

でも、儒教の教えの内容は、権力者や年長者にとってのみ都合が良く、若者がチャンスを手にして成長していく事には何の好影響も与えません。

年寄りを敬えと言いますが、年寄りが言っている事が間違っていて、若い頭脳が弾き出した提案の方が合理的なことはいくらでもありますよね?

礼儀作法をしっかりしろと言いますが、それはいつも年齢や肩書が上の者に対しては謙った(へりくだった)態度を取れという文脈で使われます。年齢や肩書が上だからと言って、人物的に優れているとか能力が高い事とは無関係なのに。

先生や先輩の言っていることがおかしく、納得いかない思いをしたことがある方は多いのではないでしょうか?その時に、「それはおかしいと思いますよ」と言ってはいけないと考えてきませんでしたか?それ自体が儒教の洗脳を受けている証左なのです。

ちょっと考えてみればおかしいことに誰でも気付く。しかし、考える力を奪う事を目的とした学校教育や無教養な親の影響で考える力を奪われてしまっている人が多い日本人では、その洗脳から抜け出るのは並大抵の事ではないのです。

では、どうしたら儒教の洗脳から解放され、自由な発想を手に入れる事が出来るでしょうか?

その為には、多くを学んで知識を増やし、どんな意見も鵜呑みにせずに自分なりの解釈をするように心掛け、他人からの承認を受けたいという欲求を捨てて、まずは自分で自分を承認することから始めなくてはなりません。

2017年に出会った本で私が影響を受けたのは、アドラー心理学関係の本や、苫米地英人氏の著書ですが、ガンジー主義も含め、優秀な頭脳を持ちながら権力者に阿らない生き方をしている方々の言う事には、いくつもの共通点が見つかるような気がしています。

その共通点の一つは

自分で考え、自分で決定し、自分が信じたものなら他人が何と言おうと気にせず行動に移せ

というようなものだと思います。

その行動の結果として、社会があなたを認めてくれなくても、気にすることはないのです。

私のこのサイトの内容も、日本社会ではまるで受け入れられないようで、反則金の納付率はむしろ上がる一方ですが、私はそれでも「事故防止を目的としていない警察の交通違反の取締りはおかしい!」と主張し、仮に検挙されそうになっても否認して切符回避を目指し、回避できずに切符を切られても反則金は絶対に支払いません。

事故も渋滞も引き起こしておらず、どこにも被害者がいない行為が違法とされる法制度はおかしいと思いますし、警察利権への資金提供にしかならない反則金なんて、一生死ぬまで支払うことはないでしょう。

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コメント

  1. takeda より:

    洗脳教育は12年間受けました。
    その後は奴隷として働きますが、運よく1年ほどで会社がつぶれてしまったおかげで、早いうちから洗脳から解けました。今思えば会社がつぶれてラッキーでした。
    その後は世に抗うことを意識し、奴隷としての生産能力を高める一方で、残業代などの権利主張を続け、嫌われ続け、誰のいうことも聞かず、自分が正しいと思える道を進み続けました。
    結果、今は自営業(生産活動には従事しているため、未だ奴隷階級なのは変わりない)となり、金銭的には余裕が出、時間も自分のペースででき、人間関係のわずらわしさから解放されました。
    早く奴隷から解放されることを目標としながら日々過ごしてます。
    私は早くに見切りをつけたのですが、奴隷として生き続けることを選んできた周りの人間たちは・・・。結構悲惨なことになってますね。
    古代ローマでは、10年奴隷として働いたら自由人になれたとか。
    現代では45年働いてようやく貧乏な自由人になれる。50年でしたっけね。いや、そんな保障すらなくなってきてますね。恐ろしい時代です。そしてこの事実に誰も気づかないという。

    日本は無宗教なんてあり得ないとはわかっておりました。日本人は天皇という教祖を中心とする、国家神道というカルト宗教の集団だと思ってました。無宗教のくせに初詣に行くって馬鹿じゃねぇのwって思ってました。自分でものを考えない姿勢は、ここに原因があるのだと思ってました。
    ただ、その原因が儒教にあったというのは、新しい視点を知ることができました。色々学ばせていただいてます。ありがとうございます。

    • 取締り110番 より:

      アドラーの言葉の中に、以下のものがあります。

      「あらゆる悩みの原因は、人間関係である」「承認欲求を捨てない限り、幸せになることは出来ない」

      至言と言って良いと思います。自分という人間の価値を、他人の物差しで測ろうとするから、貧富の差や学歴などの肩書などが気になってしまうのです。

      もちろん、経済的な自由を得る事も奴隷階級からの脱出には必要不可欠ですが、金融資産1億円以上の富裕層にあっても、他人の目線ばかり気にしてブランド品で身を包まなければ外出出来ないような人間は幸せではないでしょう。本当の幸せとは、心が自由であることで、心が自由ならば、他人から認められる必要などどこにもないのです。

      国家神道の影響も多少はありますが、あれは明治維新以降に作られた新興宗教に過ぎず、協調圧力も手伝って初詣に行く人はそれなりにいますが、小銭を賽銭箱に放り込んだ程度で本当にカミが願いを叶えてくれるだとか、天皇家が万世一系でカミの子孫であるというような事を本気で信じている日本人はいくらもいないでしょう。

      それに比べると儒教の影響の方が大きいような気がしますね。論語の論理は本当に支配者層にとって都合が良いので、日本でもずっと以前から使われてきたものですしね。

      知れば知るほど自分の無知さにはホトホト呆れてしまいますが、論語の洗脳を受けている事が自覚出来た分、権威や権力を振りかざして偉そうにしている輩を見ても、何ら自分に引け目を感じる事がなくなりますね。

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